24時間テレビより24-ほんとうにすまないと思っている-

前回の反省を踏まえて投票に行ってまいりました

そして今日は都議会議員選挙の投票日でした、特に推薦したい人が居る訳でもなく、誰がどんな公約でどんな人物なのか等、予備知識をまったく持たずに投票場の学校へ行きました、過去に選挙活動を手伝ったこともあり、付き合いで自民党員に3年程なっていたにも係わらず無知識で投票に行った私も私でよくはないのですが、体育館に入り入場票を提出して、いざ記名の時になり、アレ??投票場ってポスターとか公約とかって貼ってなかったけ?政党と名前だけじゃなんもわかんないんだけどどうしろっつーの?と戸惑いました。

百歩譲って投票する前に顔と名前の一致はポスター見てこなかった私が悪いとしても公約とか経歴位は会場とかにあった方がいんじゃないか?と思った訳ですよ、新聞だって全員が読んでいる訳じゃないし、テレビだってみんなが観てる訳じゃない、それに両方とも0から情報を入手しようと思ったらお金かかるよね、それを税金とは別に負担させるのはおかしいよね?、と言う訳で、投票は現場でするんだよ!テレビ局や駅前の演説でするんじゃない!と言いたい。

今回は事前に選挙区の立候補者や政党を確認してから行きました。。。

がっ!

最高裁判所裁判官国民審査がまってました。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると

最高裁判所裁判官国民審査(さいこうさいばんしょさいばんかんこくみんしんさ)とは、日本における最高裁判所裁判官を罷免するかどうかを国民が審査する制度のことである。

となっており。

国民審査制度について、最高裁判所自身は1952年(昭和27年)2月20日判例にて、解職の制度との判断を示している。だが、これまでに国民審査によって罷免された裁判官はいない。投票用紙に×印を書き入れなかった裁判官に対しては自動的に信任と見なされるため、国民審査の結果は常に信任票が多くなる傾向にある。それ以前に、最高裁裁判官自体が一般国民には身近でなく、マスコミで報道されることも稀であり、投票時に初めて名前を知るという国民も多い。このため、国民審査制度は儀式化、形骸化したとする見方、国民審査は「伝家の宝刀」であり存在することにより裁判官の行動に影響を及ぼし意義があるとする見方、信任を○、不信任を×、白票を棄権と法律で定めて、罷免の可能性を高めるべきとする主張などがある。

とも書かれております。

その通り!名前だけでよく知らない人に対して無責任に×なんてつけられるかよ!とその前にせめて投票所に経歴と顔写真位は貼っとけよ!消毒液置いておくのも大切だが名前だけで決められるかよ!たまたま、嫌いな名前でもなければ×なんてつけませんよ!結局誰にも×をつけられずに投票してしまったのですが、問うならば説明は必要だと思うのですよ、不動産業だから、説明義務を普段から負わされているから、必要以上に気になるのだと思うのですが納得できない、理解できないことを素直に受け入れるほど人間できちゃいねーんだよ!ヴォケェ!

っつー訳で裁判官になってみたい。

黙れ小僧、俺が悪いんじゃねえ。昼からやってる酒屋が悪いんだ

いや、昼からじゃねー朝からやってる酒屋が悪いんだ!武蔵小山に「朝から飲める」立ち飲み店−カリスママスターが開業指南とうとう近所に朝から飲める店がオープンしてしまいました。もう人生終わったようなものです。暇さえあれば酔ってしまいそうです。

しかし、、、安い、今まで土日に昼から開けている店はあったのですが朝からですって、しかも安い、これはもうだめかもわからんねはてなスターもビールにしちゃう位に(゚∀゚)

泣くのは仕事

徳光さんが去年某他局ではなった言葉です、流石ですプロです。まるで韓国の泣き屋さん並に。それでも使い続ける某局も流石です。今年も観ませんけどね( ̄ー ̄)



関係ないけど今日寒い((((;゚Д゚)))